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転がることさえ夢中なら

地方の茶の間でジャニオタ。アイドル短歌

「それいゆ」を見た

「それいゆ」を見ました。ネタバレしてます。

好きな人が好きな人を演じる舞台。何度も会場までの道を確認し、早く着きすぎて一度引きかえした。
終演後外に出ると、思いがけず東京タワーがきれいだった。急な坂道を下りながら、ユニクロのカーディガンで来ちゃったなあと少し後悔した。

私は五味にも苛立ったけど編集長にも苛立っていた。多分似ていたから。私は楽な方に流される適当な人間だから。「味も知らない店の店に並び…」ってくだり、心の中で「食べたことないものの味なんか分かるわけないじゃん」とか口答えしてたけど。我ながら嫌になるほど俗っぽい。

優馬くんは美しかった。真っ白な服と靴。確固とした美意識。信念を貫き通す覚悟。それが「天才」に見え、「変な人」に見える。この人は孤高という言葉が似合う。美しく生きていると静かに宣言できる説得力。その気高さ。中原淳一の絵に似た強い意志的な眼差し。
その天才の書生、イラストレーター見習いとして登場するのが辰巳さん演じる桜木だった。二幕ではひまわり社のイラストレーターになっている。
桜木は中原淳一に、もっと楽に生きてほしい、このままでは生きていけないんじゃないか、と心配していたのかな、と今になって勝手に想像している。楽な道を行ってもいいのに、心身を消耗させてまで信念を貫き通す意味はあるのか。人生を生きるのに、信念を貫いて苦しむなら元も子もないのではないか。自分はそうできないという嫉妬と、中原淳一とて自分と同じく弱い人間じゃないかと安心したい思いも。
妥協したって楽な方に流されたって、こだわりすぎるあまり心身を壊してしまうより良い、とか。心配、天才を理解することができない焦り、自分は中原淳一の美意識を心底から理解できないと認めたくない、中原淳一の美意識に共感する天沢への嫉妬、中原淳一への嫉妬。
思いをぶちまける場面、声は震えてどもりがちに、つかえて出てこない言葉を懸命に探して、投げつけて、桜木はもう諦めてしまったのかな。どこかに言い訳を持ちながら、思いに蓋をしながら、見ないふりで生きていくのか。みんなこんなものだと思いながら。
中原淳一を尊敬して、愛して、また心配して、もっと楽に生きればいいともどかしく思って、そんな次元でしか考えられない自分の俗っぽさが好きではなくて、好きではないけど真正面から向き合うには弱すぎて、天才になれず信念を貫く強さがないことを開き直ることを選んでしまう。そうするしかない、自分にはできない、と逃げ出してしまう。
桜木はラストで、自分にも周囲にも適度にやさしい挿絵画家になっていた。優しいのか。易しいのか。劇的な救済や目覚めは訪れていない。桜木はおそらくあのまま生きていく。

劇中、中原淳一は一人苦悩していた。自責、自問、間違っているのではないか、役になど立たない、誰にも求められない、独りよがりでしかないのではないか。完璧な造形美などこの世にないのではないか。明日には古くなるものに意味などあるのか。
桜木は、中原淳一が迷い悩むのだと想像することはあったのだろうか。もしそれを知ったら、「同じ人間だった」と安心することができたのだろうか。だけど中原淳一の出す結論は「それでも信念を貫く、苦しくてもつらくても胸を張っていられるような道を選ぶ」ことだと思うから、やはり「理解できない」と背を向けるしかないのかもしれない。
「完璧な造形美があるとすれば、それは中原先生の生き方そのものだ」
時代や周囲に翻弄され続けていた舞子は終盤、自力で立ち上がり歩き始める。胸を張って誇ることのできる生き方。中原淳一の絵と言葉と生き方に勇気づけられ、励まされて。夢を見ること、夢を力にできること。中原淳一が存在したことが希望になる。たとえ迷っても、美しい生き方を貫く人がいた、という希望。
美しさは世界を変えることができる。私は今なら、以前よりもその言葉を信じられると思う。

美しく生きること。胸を張って「美しく生きています」と言えるようになれるのか。
あの時代、洋服は仕立てるものだった。中原淳一は「自分に似合う色や柄を研究し、美しく見えるよう工夫して仕立ててごらんなさい」というようなことを繰り返している。常に小ざっぱりと清潔であること。よく整頓し、こまめに働き、誰が見ても快く感じるような振る舞いを。自分も周囲も快く、気持ちよくあるように。マナー、エチケット、家事に室内装飾、贈り物のアイディアに至るまで細やかに気遣うこと。それはなかなか難しいと感じてしまうし、全て実行できているとはとても言えないけど、頭に置いておく。